タテヨコブログ!☆第33回公演「戦争、買います」☆
☆2017年8月29日(火)ー9月3日(日)SPACE 梟門(新宿)☆
☆脚本:柳井祥緒(十七戦地)/演出:青木シシャモ☆
☆出演:市橋朝子 舘智子 西山竜一(以上タテヨコ企画)
岩倉真彩 大久保洋太郎 椎名茸ノ介
瀧澤孝則(hustle mania) 長尾長幸(劇26.25団)☆

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主人公・カツラギ宛の手紙 12:44
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    横田です。

    以前このブログにも書かせて頂きました、カウンセリングのプロのお客様から届いた「鈴木の行方」主人公・カツラギ宛への手紙の公開許可を頂きました(ありがとうございます!>S.K.様)。


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    カツラギ(主人公)様

     初めまして。

     私は、カウンセリングなどを行う小さな会社の役員として、生身の人の心に接する機会をいただいておりますが、昨日6月8日に、下北沢の駅前劇場「鈴木の行方」にて、観客として、初めてカツラギ様にお会いし、興味深く、架空の存在であるあなたのお話しを、うかがいました。

     一緒に観劇した同僚と、その帰りに、お話しの真の意味するところを、いろいろ検討しましたが、奥が深く、頭から離れません。失礼かとも思いましたが、お心の中を、不特定多数の方に開示されている状況(劇ですから)に鑑み、思い切って、このお便りをします。

     ライブ劇や脚本の成り立ちについてなど私は全くの素人ですし、その上、劇のストーリーが複雑で(失礼)私がうまく飲み込めていない部分も多いと思いますので、以下、素人の深読みとしてご笑覧いただければ幸いです。


    ---

    [劇中の事実について]


     あなた様、主人公であるカツラギ様は、鈴木ヒロミチなる特定の旧友をたずねて、他の旧友達と、濃密な再会の時間を過ごされました。その再会の中で、興味深い事実を下に記します。


    1.劇の最後の方で旧友全員からの言葉があり、どうも、ヒロミチは本当には実在しないか、あるいは、他の誰かと混同している可能性があります。

    2.にもかかわらず、ヒロミチは主人公の中では実在し、主人公の心の支えになっている節があります。

    3.ヒロミチとは、あなたが、小学校時代に野球の2回目の練習へ一緒に行くという彼との約束をすっぽかして以来、本当は、会っていないらしい。後年の火事の事実を考えると、「誰かと混同」している可能性が高いと考えます。

    4.旧友達の名前をはっきり覚えていないのは、どうやら、主人公の方であったらしい。

    5.犬との交流の深さ、あるいは、犬を心の支えにしていたことは、人間並みだったようです。劇中で犬は人間の役者さんでした。

    6.妹への強い暴力と自分への強い暴力をあらわす、短いけれど、衝撃的で、完全な繰り返しで強調されるシーンが、2回あった。2人は失神し、死をも連想させものでした。

    7.子犬への虐待がありました。

    8.主人公の両親が全く登場しませんでした。


    [上記事実に基づいての推測]


    1.2.のことから、主人公の心に締めるヒロミチの真の意味合いが、もっとも、劇を読み解くための大きなキーになると思われます。

    3.のように、ヒロミチとあなたは、小学校時代の約束をすっぽかして以来、本当は、あっていないにもかかわらず、劇の一番最後で、約束を果たす「希望」的なシーンがありましたが、全体的には、真実の解明よりも、現実ではないものを現実化させようとする傾向(この傾向は劇全体のものになるのでしょうか)が感じられ、「希望」ではなく、逆に、更なる混迷を感じさせます。このような混迷から、主人公の背後には、大きな、明らかにされていない事実の存在が疑われます。

    4.のことから、主人公の症状が、暗示されています。

    5.のことから、人間との交流よりも、犬との交流を優先せずにはいられなかった、主人公の悲しさが、背景に常設されています。

    6.7.のことから、主人公の病的な面が、決定的に明らかにされています。

    8.の両親の不登場から、主人公が自分の内面を本気でさぐる段階にはきていないことが推測され、4.に関する混迷などを併せて考えると、本当の「希望」は実は遠のいたことが思われます。「誰かと混同」も謎のままです。


    [上記推測を集めた全体的な推測]


     以上のことから、真実の解明につながる全体的な推測は、難しく、無責任なことになってしまいますが、そこは、劇中の架空の存在であるあなた様に関することですから、無責任で突飛な推測も、エイヤッと、やらせていただこうと思います。


     主人公の症状や病的な側面から、主人公の人生の初期における両親との関係性はあまり良好ではないと推測されます。もっとも、主人公が学生時代に生徒会長を務めたことから、健全な社会性の面があり、そのような社会性の基礎となるべき父親との関係性は、母親との関係性よりは、かなりマシだったと思われます。そのような<男性>との関係性の良さから、男性である「ヒロミチ」を心の支えとしていたことも肯けます。反対に、母親との関係性は、より悪く、そのような<女性>との関係性の悪さは、女性である「妹」への暴力への流れを作ったとも推測できます。さらに、子犬への虐待と、自殺も臭う自虐は、主人公の人生の極めて初期における母親(あるいは育ての親)との関係性が絶望的なものであったことを推測させます。


     そのような絶望的な状況でこそ、「ヒロミチ」は、人生の初期に心の支えとなりました。にもかかわらず、誰かと混同されたまま心の中に生き続けます。その「混同」の事実から、その「誰か」は、記憶の外へ押しやられなければならない理由があったはずです。その「誰か」は、おそらく他人ではありません。人生の初期をともに過ごしたはずです。それは兄か弟です。劇中の人間関係の様子から、兄、です。兄は劇中に登場いないので、現在は生存しないはずです。記憶の外へ押しやられなければならない<死(非存在)>を得たはずです。火事です。ただの火事であれば、記憶を加工する必要はありません。放火です。兄のみならず、おそらくは母親も絡んでいるはずです。一方が放火し他方が殺されました。ともに死にました。兄(ヒロミチ)との人間的な交流が劇中に表現され、母親が未登場のことから、放火したのは母で、巻き添えで死んだのは兄です。しかし、放火の原因を作ったのは兄で、多分、心を病んでいた母親と口論したのだと推測します。このように2人は相殺だったので、2人とも主人公の記憶の外へ追いやられる必要がありました。兄の名をそのまま記憶することはできないので、「ヒロミチ」ではなく例えば「ミチヒロ」です。「カツラギミチヒロ」です。


     「鈴木ヒロミチ」と兄「カツラギミチヒロ」の混同は、主人公にとって、2人が時間的に併存しなかったことを表します。すなわち、「鈴木ヒロミチ」とは小学時代の短い付き合いでした。他方、兄「カツラギミチヒロ」は、幼児期を一緒に過ごした後に、おそらく、母親の心の病気が重くなったことから、一度、小学時代に、主人公とは引き離されました。この引き離しによる心の隙間を埋めるようにして、「鈴木ヒロミチ」との短い付き合いがありました。その後、小学時代以降に再度兄「カツラギミチヒロ」と一緒に育つことになりました。そして、後年、火事があり、兄は亡くなりました。


     この火事の事件で、それまで心の平安をかろうじて小康に保っていた主人公は、一気に不安定になり、現実と過去と幻想の3つの区別が付きにくくなる傾向を得ました。この傾向は主人公を作家にするものの、本当の意味での社会性を害するものとなり、挫折して、故郷に帰り、今回の劇の内容になりました。


    ---

     カツラギ(主人公)様、最後まで読んでいただいてありがとうございます。劇「鈴木の行方」があなた様の心の探求であるならば、さらに、その解明が成されることで、私たち観客はわくわくしながら、今一層、楽しむことができると思います。


    S.K.

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    | 横田修 | comments(1) | trackbacks(0) | posted by すくすく -
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    文字化け部分修正しました!(2012/6/27 17:00)
    posted by 横田修 | 2012/06/27 5:10 PM |
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